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TEXTILE COLUMN福田織物のテキスタイルコラム

「竜馬がゆく」から影響を受けた織物産地ビジネス経営

2019.12.31

私の、テキスタイルづくりは、いつも、1番になりたい欲求があった。

25年前に、工賃織屋を、バッサリやめ、商社も問屋も一切入れずに、企画・製造・販売の仕組みを作り上げた。

当時は、母には、「夢物語を言ってんじゃないよ。」と、言われ反対されたが、父は、新しいビジネス挑戦を許してくれた。

司馬遼太郎作;「竜馬がゆく」を10代の頃、何度も読みかえていたし、死ぬときも前に向かっていく竜馬が好きで、心深くしみ込んでしまった。

私の30代は、竜馬がすべてだった。

賃織に戻れないよう、全て、織物産地ビジネスから、脱藩した。

今までの、織工賃は、福田織物にとって、織物産地の中では、勝組だったし、工賃織物工場でも、トップクラスの売り上がを作っていた。

少しばかりの資金が溜まり、沸き立つ根拠のない自信から、福田織物のニュービジネス、「産地ビジネスをぶっ壊す」が始まる。

竜馬が、打倒江戸幕府を倒すが、私にとって、打倒産地ビジネスモデルだった。

 

当時は、賃織工場は、下に見られていて、ある意味、バカにされたと感じていたのは、私だけだったかも知れないが、苦痛に感じていた。

出来の悪い産元社員に命令されるなんて、うんざりしていた。

賃織りをやめ、直接アパレルに営業に行くようになると、当時は、会う人から、潰されないように気お付けるように。と気遣いをされながら、さすがに、産元から、福田織物の悪口や、倒産の噂が広がり、家族には、大変苦痛や迷惑をかけたことを思い出す。

産地アンチテーゼだったので、従来の遠州織物は、織りたくなかった、要するに、本気で、福田織物は、新しいビジネススタイルを構築したかったため、当時の、細番手綿織物は、綿60/1単糸で織ったものが、主流だったし、売れ筋だった。同じものを織ったら、何の意味がないと感じた。

自分に問いあわせて、竜馬だったらどうする?    「世界一のテキスタイルを作る」と返ってきた。

なんと、私は、こんな単純なバカな発想で、世界一のテキスタイルづくりにかかることになった。

 

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