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TEXTILE COLUMN福田織物のテキスタイルコラム

みやしんの世界一のテキスタイルづくり

2020.01.03

1990年頃には、八王子の、今は無き、みやしんが、織物工場で、企画、製造、販売を行っていた。

当時、天龍社織物組合の青年部で、みやしんの工場見学に行ったことが、きっかけで、福田織物の基礎をづくりができた。

みやしんは、50年前以上の古いシャトル織機でテキスタイルを作っていた。

私は、当時、たくさんのビジネス書を読みまくっていたが、当時の、みやしんはビジネス書の教えを逆行した経営を行っていたことに驚きがあった。

では、30年前の織物業界は、織機の技術革新が進んでおり、産業革命的な、エアージェットルーム、レピアルーム、ウォータージェットルームといった新機種の織機が出始めたころだった。

遠州のシャトル織機の平均スピードは、180回/分位で、エアージェットルームは、500回/分以上だったので、約3倍近く生産性が上がってきた。要するに、土地坪当たりの生産性を考えると、単純に、賃織物工場の売り上げが3倍になることになる。

資本のある織物工場は、次々と、エアージェットルームを購入するようになった。

私自身も、みやしんを見る前までは、エアージェットルーム機、購入を真剣に考え、計画をたてていたが。

話を戻すが、当時の。みやしんは、どんな経営をしていたのかを説明する。

シャトル織機100回転で織物製造していたこと。

織機が20台位あったと思うが、一人あたり4台で生産していた。

シャトル織機でも、両側4丁織機、ドビーは、今まで見たことのないような大柄を織れる機械式ドビー。

若い社員が働いていたこと

東京八王子の高い土地で織物業を営んでいたこと

テキスタイルは、先染めで、今まで見たことのないようなデザインだったり、織組織だったこと

企画・製造・販売を、日本で初めてやっていた、織物メーカーだったこと

まだまだ書くことがあるのだが、今では、このような織物工場はたくさんあるが、当時は、日本全国、みやしんしかなかった。

弊社も、当時は、賃織で、安い工賃との闘いだったので、1mでもおおく生産できるようにするのが、一般的な織物工場の考えかただったが、シャトル織機で100回転で、採算が合うのかと、私は、当時衝撃を受けた。

また、30年前でも、織物工場には、若い人材が集まりにくく、身内でカバーしていた時代なのに、若い社員が、楽しそうに織物製造している現場を見て、何が起こっているんだ。この会社、みやしんは何をやっても儲けているのかと疑問を感じて、みやしんの社長、宮本英治さんに質問をぶつけた。

宮本さんは、社長でもあるが、テキスタイルデザイナーであって、宮本さんの作るテキスタイルは、今までにないテキスタイル作りだった。

売り先は、イッセイミヤケで、コレクションにも携わっていた。1990年頃のイッセイミヤケは、世界から日本人として世界の偉大なるクリエターとして羽ばたいていた時期であった。それを、支えていた織物工場が、みやしんだった。その他にも、デザイナーブランドからアパレルに直販をしていた。

革新織機エアージェットを購入しても、将来、資本力のあるところで、パワーゲームで負けることは確実だったが、みやしんの経営は、ハードを頼らずソフトでビジネスを構築していた。