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TEXTILE COLUMN福田織物のテキスタイルコラム

ブランド「光透けるストール」の誕生

2020.10.09

2011年、「超極細糸の軽量ストール」の販売を始めるが、当時は、とてもかっこいいワードだと思っていたが、現在は、こんなダサイ商品名で販売していたのかと超恥ずかしいかぎりである。少しくらいブランデイングの勉強しろよと、今の私は、過去の私に文句を言いたい。

今まで、生地しか売ったことない織物工場が、ストール製品販売しなくてはならない。私の気持ちは、凄く先に行っているのだが、実際に前に全く進んでいいないのである。

超極細糸ストールができたのはいいが、遠州産地で製品販売を、織物組合初のため、誰も教えてくれる人はいない。全て自分で考えなくてはならなかった。前で走ることは、とても大変な事である。何からなにまで全く知識がないのであった。ある意味、全くバカなヤツだなと、自分に評価している

バカな性格、単純思考、よく言えば、ポジティブな、私だからこそ、前に進むことができた。

まずは、「超極細糸の軽量ストール」のブランドネームを考えないといけない。

誰しもが、ここだけは本気で考えるが、すぐに横文字にいってしまう。私も、ほどほどセンスがないと感じていた。

「光透けるストール」のネーミングが決まるまでの、ストーリーを書きます

当時は、全国の織物産地からストール販売を、ほとんど誰もしていなかったが、西脇では、玉木新雌さんが、ストール販売していた。もともと彼女は、ファッションデザイナーだったんで、アパレルから織物工場になってファクトリーブランドつくりブランド発信していた。私にとって雲の上の人だった。今でもスゴイ女性と思っている。弊社は、織物工場からストールアパレルを目指した。ストールそのものが生地だから、問題なく製品化ができたが、それより、どのようにストールを売ればいいか?わからない。また、ストール単価もどのように値付けをするかもわからないほど、ド素人だった。今でも素人なので、現在も、学びながら実行、失敗を繰り返している。

私には、1社も販売先が無かった、良い物作れば売れると勝手に思い込んでいたが、実際は、そんな甘くなかった。織物工場がどんな良い物か言っても、相手が認めて貰わなければ売れないんだ。と、その時、人生はじめて実感した。売るためには、百貨店営業、中小機構のイベント参加、いろいろな小物雑貨の展示会に参加し、「超極細糸の軽量ストール」をアピールしていた。

また、本業のテキスタイル販売は、順調に売上を伸ばしていたので、そこに、社員に任せ、私と専務は、ストール販売に専念して進めていた。

やはり無名の時は、本当に売れなかったが、ようやく、頑張ったかいがあったのか、はじめて小学館の「サライに、声をかけていただいた。そして「超極細綿糸の軽量ストール」が念願の販売されることになった。サライという雑誌は、ものつくりがしっかり書かれていている情報雑誌で、私も良く読んでいたので、本当に光栄だった。本格デビューは、ここからのスタートになった。

   

この時期、師匠、松田さん(現在、未来塾塾長)が、声かけてくださり、一般の人達むけの生地売り、「マルシェ」がスタートした。日本全国の織物工場が集めり、織物産地の得意な生地を販売していく行事だ。この「マルシェ」は、本当に大成功していて、日本中の話題になり、今まで知らないファッション業界のメンバーと知り合いになり、ネットワークがかなりできた。

その中で、D&デパートメントからの、お誘いで東京で「マルシェ」を行うことになった。そこで、生地売りの中で、弊社のコットンストールを販売することをしようとすると、D&デパートメントからNGがでて、ストール販売ができなくなった。どうせ見本ストールだったので、東京のD&デパートメントさんのススタッフさんに、持ってきた、コットンストールをプレゼントしたことから、D&デパートメントのMDから声がかかることで、流れが大きき変わり始めた。

渋谷ヒカリエ          ヒカリエD&D

当時の、D&デパートメントは、テキスタイル商品は、全くなかったが、その中での紹介で、うつわの先生、日野明子さんに出会うことになる。日野さんとは、全くジャンル違いだったが、弊社お専務と仲良くなれて、弊社に遊びに来てくれたのがキッカケになった。うつわ、焼き物が得意分野の、日野さんに、コットンストールを説明して、テキスタイルのモノづくりを理解していただいたことがキッカケになったのか、2012年、3月12日、読売新聞の、日野明子さんのコラム「光透けるストール」が投稿された。その記事の反響はすごく、2週間、毎日、電話が鳴りっぱなしで、そのかいがあったのか、ストールが500枚も販売してしまった。日野さんの、ネットワーク、ファン層の凄さがわかった。モノが売れるには、沢山の人が応援してくれたから売れたのである。人生の中で、一番大事なことを学んだ。

その新聞記事の中に、光透けるストールというネーミングが使われていたことが、きっけで、私と専務が、「光透けるストール」のワードが気にいり、日野さんの許可で、「光透けるストール」というブランドネーミングが決まった。その年の4月から、「光透けるストール」として販売することになった。

その後、読売新聞搭載は、光透けるストールが、大躍進していくことになった。モノが売れる実感、認知度はかなり広がった。後に、数年経っても、読売新聞記事の切り抜きを持ってきてくださったお客様が多かった。日野明子さんには、大変感謝している。

2013年4月、渋谷ヒカリエがデビューしたとき、日野さんおかげで、D&デパートメントから、「光透けるストール」もデビューした。これが、大きな転機なる。「光透けるストール」が売れたのである。それも、18000円という、コットンストールで考えられない高値で売れたのである。

嬉しかった、自分達が企画したコットンストールが、東京の渋谷ヒカリエからデビューしたことは、社員一同、大きな自信につながった。

人の出会いこそが、重要であることが経験になった。

ここから、本当に、光透けるストールは、大きく躍進していくことになる。

2020年 AW光る透けるストールの紹介 YouTubeで

https://www.youtube.com/watch?v=BaHbwrqZ50M&t=7s

コーデユロイの説明 YouTubeで

https://www.youtube.com/watch?v=UYaUhjHXXOs&t=29s