CLOSE

© Fukuda Orimono All Rights Reserved.

TEXTILE COLUMN福田織物のテキスタイルコラム

綿100/1ローン 福田織物の始まり

2020.05.17

綿100/1ローンは、福田織物の技術の方向性を決めた歴史的織物だ。1990年の頃、当時、私が30代前半だった頃に、遠州織鋳物のビジネスシステム賃織り100%、全て辞めてしまった。私の、尊敬している坂本龍馬のような生き方をしたい。ただそれだけで、竜馬が土佐藩を脱藩のような覚悟した生き方をを望んでいたのである。ただ、自分とは何かを求め、テキスタイルという斜陽産業に、新たな生き方を探していくことに決めた。

  

その当時の、私は、根拠無き自信に満ち溢れていた。また、大馬鹿であったのも確かだった。

当時は、遠州産地の格式を、私は、クソくらえ。と増悪感を感じでいた。当時の産元は、織物工場を、低く見下していた時代で、能力ない産元の社員と話しているのが、私にとって苦痛であった。嘘ばかりついて、織物工場にクレームをつけるようなヤツばかりだった。だから、30年前までは、遠州産地には、100社以上産元があったが、現在では、産元は数社しか残っていない。ようするに、能力が低かったことは間違いない。資本主義は、すべて競争なんだから、能力がなければ生きていけないことが証明された。また、産元依存したため、遠州産地は、すごいスピードで産地崩壊が進んだ。

私は、賃織り産元ビジネスは高度成長時代までのモデルと考えていた。私は、イタリア型ビジネスを目指すために、産元で作ってきたテキスタイルは真似しないし、ビジネススタイルも真似する気にもならなかった。竜馬のように、新時代を起こすんだと思いが強く、産元が出来ない織物、、又は、今までにないニュービジネスに挑戦しようと、いつも頭を抱え悩んでいた、福田織物の向かう道を手探りで探していた。

あることで、年配の女性ファッションデザイナーとの出会いが、私のモノづくりを衝撃的に変えていくことになる。100年前の、アンテークのハンカチを見る機会があり、女性のデザイナーは、「これ織れる」と私に尋ねた。当時の私は、直接、アパレルとのビジネスをすることが、目的だったので、喜んで、アンテークコットンハンカチを、再現することにとりかかった。

100年前のアンテークコットンハンカチは、その後、私に苦難と未来を与えたものになった。

現物のハンカチではありません。参考資料としたイメージ写真です。

綿100単糸ローンは、現在では、当たり前の定番生地なんだけど、30 年前は、100単糸ローン生地の存在が無かったと思う。当時は紡績も力があったから100単糸ローンは存在していたかも知れないが、多分、私の知る限りでは、当時は、綿100ローン生地は生産されて販売されていなかったと思う。

デザイナーから渡されたアンテークハンカチは、100年前の、とても貴重なものだった。しかし、このハンカチを分析するには、ハサミを入れないと調べることができないため、切らしてもらった。ある意味では、戻れないことになる。「覚悟は決まった」と自分に、何度も言い聞かせた。分析結果は、なんと綿105/1×綿105/1の綿100%の超細番手平織りローンだった。30年前では超極細綿織物であったことは間違いない。

福田織物では、過去、織ったことがある細い綿糸は80/1までだった。当時でも、織では、難しく苦戦するほどの糸の細さだっが、更に、それより細い糸だが、織る事を決断した。

早速、糸の購入から、綿100/1単糸の糸を探したが、残念ながら、国内では綿100/1単糸が買えなかった。要するに、綿100/1単糸織物が存在してないから糸がない。当たり前のことである。でも、織らなければならない。国内がダメならば、海外にあるのかを調べてもらった。6ケ月後に、ようやく糸商から連絡がり、スイスのヘルマンビュラー社(2017年廃業)から、綿100/1単糸が買えると連絡があった。
私は、織れることこを信じヘルマンビュラー社の綿100/1単糸の糸を輸入した。
輸入された糸の箱を開ける瞬間は、今でも、しっかり脳裏に刻まれている。
初めて見る、綿100/1単糸は、シルクのような光沢があり、柔らかくしなやかな素晴らしい糸に、社員全員が感動した。そこから歴史的挑戦が、小さな町工場から始まった。

すぐに問題が起こった。
綿織物の経糸は、糊付けが必要なのである。特に綿単糸は、糊付けが出来なければ、織が不能になる。その重要な作業ができなかったのである。
ヘルマンビュラー社の、綿100/1単糸は、コーン巻きから糸を引っ張りだすだけで、細い糸が切れってしまう。サイジングの社長と技術者とで、初めて見る綿100/1単糸を、眺め、触り、引っ張ったりして、その後、技術者の口から、「この糸の糊付けは無理」、という回答だった。
当然かもしれない、全く経験のない未知の綿100/1単糸、リスクの高い糸の糊付けを、受けるはずがないことは、私は、始めから想定していた。
当時、30歳前後の、私は、今後、40年間、この織物世界で稼業しなければならい。自分の未来のためにも、竜馬だっら、絶対やるだろうと思った。
私は、覚悟の条件を出した。「綿100/1単糸の、糊付けのリスク100%は、全て私が責任取る」ことで、サイジング技術者が承知してくれ、未来に向かってスタートをきった

ヘルマンビュラー社の綿100/1単糸の糸の張力が全く無かったので、撚糸工場で弱強撚していただき、糸の張力強度を改善させて、荒巻などは、低速で巻きながら糸の弱さの限界を確認しながら作業を行った。時間はかかったが、100/1単糸の糊付けが成功した。サイジング技術者、社長は、苦痛な顔から、円満の笑顔を見せ喜びを、サイジング会社と弊社の社員で分かち合った。

  

その後、福田織物工場で織ることになる。

これから起こる問題は、次回に続く。